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週末、小学生の息子がいつものように給食袋(給食当番で着る白衣が入っているもの)を持って帰ってきました。 4月ということで、新しい学年になったクラスではじめて使う給食の白衣です。 新しい学年だからといって新しい白衣 ではなくて、先代が結構使い込んでいます。昨今の、すぐに捨てる、風潮とは違って、物を最後まで使うという当たり前の事が、この公立小学校という場所では当たり前のこととして行われているので、あの時が止まったような雰囲気が、好きです。 昔の日本をかいま見ているような気分になるからでしょうか。 予算が少ない?からこそ、少ないものを大切に出来るのでしょうね。 そろそろ、満たしてあげること=幸せ、という勘違いから脱出すべき時ではないでしょうか? さて給食の白衣ですが、洗濯して干していたら、ボタンが一つだけ黒い。 年度末になると保護者が確認してボタンが無くなっていたり、ゴムが伸びていたら付け替えたり、ほつれを直したりするのですが、教室に集まって行ったり、担当の保護者が持ち帰って直したり、しています。 もしかしたら忙しくてボタンなんて買いに行けなかったのかもしれないし、あるものでやるしかなかったのかもしれない。裁縫が極度に苦手だったのかもしれない・・・ でも・・・白衣に真っ黒なボタンで白い糸で縫いつけてあるのを見ていると、痛々しくなります。 ちょうど、書道道具を買わなきゃいけないときで、セットで購入すると、すごく安っぽくて軽い硯(スズリ)がついてくるんだそうだ。 あまりの安っぽさに 「子供をバカにしてないか?子供にこそ最低限のホンモノを使わせなくて、いつ学ぶんだろう?」 子供が重たいだろうと考えてのことなのかもしれないが書道を始める3年生にもなれば、スズリの一つ分の重さを少々減らした所で、大して変わりない。 だいたい私は何年もそれを持って毎週書道に通っていたし、段を取るようになってから、先生が使う大きな硯が欲しかった。 容量が足りないのと、やはりきちんとしたもので字を書くと、身が引き締まるからね。 安っぽい硯に疑問を呈した先輩ママは、自分で天然石のを買って使わせているのだそうで、やはりホンモノがいいよ〜 、と言っていました。(といっても別に買っても300円とかなんですよ・・・) そんなわけで、昨今の教育界は、もうちょっと何を教えるかということを考え直した方がいいと思う。 書道道具を作るメーカに「子供の情操教育のためには、こういう材質で云々。。。」くらいの事を言って欲しいものだ。 何事にも共通することだけど、いいものを見なくては、まがい物もわからない。 ホンモノを見なくては、偽物もわからないのだから。 子供を、機能優先の、ちゃちくても便利ならいいような物で取り巻いておきながら「昨今の子供は・・・」はないだろう。 すべて子供は大人の行動を映す鏡なのだから。 給食の白衣の話に戻しますが、あまりにも淋しくなって友達に話したら 「ひどいね、そういう事がわからない人は、とことんわからないみたいだよね」 という。 ほっとした。 ボタンならついてりゃ何でもイイって人が世の中に多いのかも??と一瞬思ったけど、たとえ世界中の全員がそういう事がわからなくなったとしても、ここは譲ってはいけないな。 ここまで大切に着てきた白衣だからこそ、ちゃんとほかの二つと同じか、近い色の白っぽいボタンで、これからも働いて欲しい。子供だって、ついてりゃいいみたいな色のものがついているのと、大切に扱われて繕われたものを着て給食を配膳するのとは、やはり違う。 そういう心を教える事が、教育ではないかと、思うのだ。 息子には 「次のお当番の後、ボタン付け直すね」 といっておいた。 黒のボタンをつけた人が、極度に裁縫が苦手だったのかも・・・とか、忙しくて苦肉の策だったのかも・・・いう気持ちは拭えないけど、今は私が出来るから、付け直しておけばいいや。 大切に縫われたものを見ていると、それは何十年もの後の記憶でぽっとわき上がったりする。 あんな風に縫って貰ったっけ・・・あの頃はそこまでしなくていいのに、、って思っていたけど、やっぱり大切な事だったんだ、と、子供を持って何年も経ってから、ふと、感じられるものみたいだ。 その温かい感覚を再現して、子供に還していく。 子供に還すということは、未来に還していくという事だ。 私の中にも、そんな断片的な感覚を、ふくふくしたおばあさんの手とか、色々な人がしてくれたものが、その時はわからなくても、確かに残っているのだ。 コモリウタ
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