宮乃

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help リーダーに追加 RSS 般若心経という知恵

<<   作成日時 : 2008/07/07 23:43   >>

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近頃、般若心経(はんにゃしんぎょう)に凝っている。
昔、お坊さんが、最初は楽譜で覚えるんですよ、といっていたのが頭にあったので、音で覚えるようにしている。
ところがまぁ30代半ばとは、記憶力が悪いもんですねぇ・・・昔は一度読んだら70%は暗記できていたのに、何回も呼んでも10%くらいの感覚・・・

美輪(明宏)さんが「南無阿弥陀仏」という言葉には力がある、と言っていたのが頭の片隅にあった。時々唱えるだけで場を浄化する?だったかな?いい作用があるのだそうだ。
詳しいことはわからないけど言霊(ことだま)という言葉があるように、日本は言葉には霊的な力が宿るということが信じられてきていて、ここ最近は、子供が育つ環境に、色や音がかなり影響を与えている事がわかるようになり、街中でもグレーからベージュ系のレンガ模様の道路が増えてきたのを喜んでいるし、それにのっとって家の中も調整しているから、最近は来た人がくつろいでしまって帰らない。そう、仕向けているのは自分なんだけどね。そういう空気の中でいていいのだという事を感じて帰ってほしいから。

近所のショッキングカラーでババーンと「Yシャツ 99円!!」とか貼りまくっているクリーニング屋は、いつ景観という名目でその色の暴力を公にすべきか、タイミングを狙っているところだが・・・。
ああいう、色の暴力について何も感じない感性のクリーニング屋に、大切なシャツを洗ってほしくはないので、一度も頼んだことはないけど(今後も絶対に持っていかないけど)、安いゆえにぼちぼち人は入っているようだ。早く客足が途絶えてつぶれる事を祈る。これ以上、街に色の暴力を振りまく前に。

そんなことはどうでも良くて、呪文とは真実の言葉を教えてもらって唱えること、だから本当の名前は軽々しく人に伝えてはならない、本当の名を伝えたら、悪く使われることもあるわけで、呪文というのはつまり古代の知恵なのかなとも思う。

曹洞宗には不思議と縁があり、お葬式や法事などの度に耳にしてきたお経ではあったし、途中で縁があって曹洞宗がらみの学校で、プチ☆体験修行もしたし唱えたりもした。あの時の座禅は、あの世ともこの世にいるともつかない境地に行ってしまい、どこが境目かわからなくなったが、何とかこの世に戻ってきて、非常に楽しい体験だった。あの静かな境地に日ごろいられたらと思うのですが、なかなか何十分も座禅をする時間と、座禅できるくらいに場所がクリアリング(お掃除)された所も、我が家の中で常時確保していくのは難しい。
3人目が、何もかも出してしまって、散らかすのが楽しい時期だから・・・まぁそれでも作ろうと思えば作れますが、今はしないということ。

あのころまだ10代だったけど、私は切に出家したかったのだった。出家して自らの内観というものを極めてみたかったのだが・・・世の中というものを知らず、出家して何が内観できるのか??とも思い、全世界と取引をしている会社に入り世の中がどう動いているのかを知ることにして、子供くらい産んでおかないと、と、、、あらゆる現世で出来ることを片っ端から経験することにしたのだった。

だって、出家は、いつでも出来る・・・出家してからする修行も、どこにいたって出来るのだ。

精神(こころ)ひとつのことなのだから。

その後、いろいろと道は分かれて、ついには人を救う具体的な手を持った喜びを持ち、助けてほしいと思っている人に手をかせる自分がいた。

それでも悩みは日々いろいろと出てくる。
悩みというのは、ある出来事を自分で「悩み」という位置づけに置いてしまっているから「悩み」となるわけだが、所詮は、私という小さな人間の脳みその中で起きている妄想に過ぎない。

よってそれを消せば苦しみはなくなる。


・・・というわけで般若心経の

五蘊一切苦厄(ごうんいっさいくやく)

があたまにこびりつく。

五蘊(色・受・想・行・識のことで物質・肉体や感受作用・想念・意思・認識)は皆空であると悟れば、一切の苦厄から救われる、という意味である。

子供を産み終え、ふと、広く世界を見回した時、色々と人間関係のややこしいことに直面しても、青々と茂る初夏のむっとするような緑を見ても、所詮「五蘊一切苦厄(ごうんいっさいくやく)」。

70年もすれば、目の前にいる、面倒なことをのたまっているこの人も土に還る。

生まれて、生きて、死ぬ。

生きている間に、色々と他人とぶつかったりいろんなことがあるのだろうけど、どんなにアンチエイジング技術が発達したとしても、生きるものは必ず死ぬ。

そして、その生き死にが何度起きようが、地球全体では単に循環しているだけで何も変わってはいない。

地球は大きい。

「本当は人類が危機なんです」って古館伊知郎さんがようやく言ってくれたけど、そう、別に人類がいなくなっても、また地球はその機能を使って大量の死体を土に還し、また植物などを芽生えさせ、静かな時間が何億年も過ぎていくのだろう。
その後、また人間のように知的生命体が生まれたりするのかもしれないけれど、とにかく地球は淡々と生きていく。

どんなにもめて、血を流し、感情がぶつかりあっても、100年もしたらすべてなくなる。その静けさを思えば、目の前の喧騒など一瞬のことだ。

っと、こんなことを考えていると、目の前で激高している人もまた、時が矢のように過ぎ去ったある日は、塵となってここには存在しないわけで、砂の像が崩れるかのように消えていき、原風景だけが目の前に広がる光景を思っては、もののあはれを夢想するのであった。


といいながら・・・怒りのスイッチが入ってしまう事はまだまだあるし、死ぬまで無くなる事はないのだろう。
人間として生きている限り。しかし、このややこしい出来事や、面倒くさい人も、100年たったら跡形もなく消えているのだと思うと、愛しさと哀れが芽生えてくる。

限られた短い時間を一生懸命生きているという点で。
すべてのものは同じ仲間だという点で。

だからこそ、自分が流している洗剤は、めぐりめぐって自らを汚染するものだと、気付き、実行するのだ。


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